134:給食1

 学校給食法が施行されたのは1954年(昭和29年)6月だそうだが、53年に私が入学したとき、K小学校はすでに給食を実施していた。戦後の食糧難対策として、都市部の小学校では早くから給食を始めていたようだ。ユニセフから脱脂粉乳の寄贈を受けたり、アメリカから補助金をもらったりしていたと聞く。アメリカ産小麦で作られたコッペパンを毎昼食べて育った私達は、アメリカの思うつぼにはまった。育児を通して日本人の米離れを引き起こしてしまい、毎年アメリカから大量の小麦を買う現状をもたらすこととなった。
 入学後少したって給食が始まると、通学時の持ち物はランドセルと草履袋(上履き入れ)に給食袋が加わった。草履袋は市販のものだが、給食袋は親の手作りである。プラスチック製の食器を入れて、長いひもを肩から斜めに掛ける。ちなみにランドセルには30㎝の竹製の物差しを立てて入れることになっていた。物差しの方がランドセルより長いのでふたからはみ出させておく。教科書やノートは時間割に合わせて毎日入れ替えるのに、なぜか物差しはいつも持っていかねばならない。
 多くの小学生にとって給食と体育が学校で最も楽しい時間だろう。私の息男もそうだった。でも私にとっては2大苦痛の時間だった。体を動かすことが嫌いな上に、運動能力ゼロで劣等感にさいなまれる体育。給食はまずくて食べられない。偏食の母の手料理に慣れた私の口は、食材も味付けも全く異なる給食を受け付けなかった。野菜嫌いの母が使う野菜は種類が限られていて、給食では見たこともない野菜が変な味に煮込まれている。おからもよく出た。安いタンパク源で重宝だったのだろう。肉は硬い鯨肉。牛肉中心の洋食っぽい料理が多い我が家と全然違う。脱脂粉乳もまずくて飲めない。今思うに、脱脂粉乳に添加されていた甘味料と生ぬるい温度が嫌だったのかも。おかずや脱脂粉乳がブリキのバケツに入っているのも食欲を減退させた。雑巾用のバケツを連想して気持ちが悪い。6年生のときに脱脂粉乳から牛乳に替わったが、瓶入りではなく、バケツからおたまじゃくしですくう方式のままだったので、顔をしかめながら飲んだ。家では大好きでがぶ飲みするのに。当時の給食は結構嫌いな子供も多く、私ほどの拒絶反応は珍しいとしても、おかずや脱脂粉乳を残す子が大勢いた。小学校を卒業して十数年後に小学校と中学校の教壇に立つ機会があり、給食に再会したら格段においしくなっていて驚いた。鯨肉は捕鯨問題が深刻化したせいか一度も出ない。毎回完食し、高校勤務時代と違って弁当を用意せずにすむことに感謝した。

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